(つづき)
そしてなおチカと命名される
そんなこんなで、あっという間にヴォロネジの晩夏の2週間が過ぎまして。私は、旅の計画をまったく立てないタイプなので、いつヴォロネジを出発するかは完全にノープランでした。ターニャも「ナオコ、いつまでもここにいて!ほんとに、ずっと住んでくれていいのよ」と熱烈に歓迎してくれるので、ついお言葉に甘えて長逗留してしまっていたのですが。
だけど、不思議なことに旅立ちの日が近づいてくると “分かる” のです。言葉では説明できないですが、いま出発すべきだというタイミングはかなりハッキリ分かります。それはロシアの短い夏が終わりを告げて、はじめての涼しい朝がきたときの事でした。私はヴォロネジを発たねばならないことを知り、ターニャにそう告げました。
そのころ、ターニャは私のことを親しみを込めて「なおチカ(наочка)」と呼んでくれていました。どうもロシアではちゃんづけする時に「〜チカ」とか「〜シカ」とつける事が多いみたい。マトリョーシカ、チェブラーシカ、みたいな感じで、日本語でいうと「なおちゃん」みたいなニュアンスです。
そんな天使のようなターニャがつけてくれた名前がすっかり気に入ってしまって、今でも使っております。なんか日本語的にも語呂がいいし。それになにより、ターニャやミーハ達と過ごしたロシアの夏のことを思い出せるから。
ターニャその後
さて、ターニャがその後どうなったか。。。
私が旅を終えて帰国した2-3年後、ターニャは念願叶ってついにセルゲイとの間に男の子を授かりました。その子はロマと名付けられ、今もすくすく成長しています。(しかし、ロマが産まれた直後に最愛の弟ミーハを失うというつらい出来事もあり、ターニャが悲しみに暮れていたのが、SNS越しに伝わってたということもあったっけ…)
ターニャと出会ってからもう10年くらいになるけれど、彼女のことはいまでも家族のように思っています。もちろん、だいぶ時間が経ってしまったので、ロシアで良くしてくれた皆さんとはほとんど連絡取ることもないですが。たまにSNSで言葉を交わすことがあるとき、ターニャはいまでもなおチカって呼んでくれます。
けど、ヴォロネジでターニャが打ち明けてくれた秘密の話が、ずっと私の心の中に残っているように感じるのです。まるでじわじわと効く薬のように。。。
思えば、あのころの私はずっと被害者のままでいたかったのだと思う。そうすれば、自分は悪くないと思えるから。けど、その代償はとても大きなものでした。かなり長い間混乱していたので、昔から私を知るひとたちにはひどい言葉を浴びせたりして、ずいぶんと大きな迷惑をかけてきたと思います。取り返しのつかないこともいっぱいしたし。いまとなって、ひとりひとりに会って謝罪したいけど、そうもいきません。ああ、覆水盆に返らず。
ただ、あの時は理解不能すぎてスルーしてしまったターニャの告白が、いまになって不思議と響くのです。とんでもない目に遭っても、相手をひとつも責めることなく、ただ愛するという道もあるのだと。そして、私がほんとうに行きたかったのも、実はそっちの道だったんじゃないんですかね?と、改めて問いかけられているような気がする。
正直、私はいまだにそこまで出来る気がしません。
けど、それは不可能じゃないってことをターニャが目の前で教えてくれました。
なおチカの名付け親って、実はそんな人だったんです。
(おしまい)
にほんブログ村
「ひとりごと」ランキング参加中です。ポチッと応援お願いします♪
コメント