なんとなく「なおチカ」というニックネームが気に入っていてブログでもそう名乗ってますが、これ、実はロシア語だったりします。。。私のことを、そう呼んでくれた天使みたいな人がロシアにいたのです。その名もターニャ。
2010年、ワゴンRでロシア横断してたとき、極東のシベリアから西の果てのサンクトペテルブルクまで、付かず離れずで見守ってくれたミーハというインテリ野生児がいて、そのお姉さんがターニャだったのでした。(しかしそのミーハは残念ながら2014年に火事で亡くなりました…)
シベリアの野生児ミーハ
ロシアというのはでかい国で、端から端まで15000kmくらいあります。ミーハは極東サハリン出身でウラジオストクの医大を卒業したシベリアっ子ですが、ロシアの反対側にあるサンクトペテルブルク(完全にヨーロッパ側)での就職が決まっており、最後の夏休みを費やして壮大なロシア横断ヒッチハイクの旅をしていたところ、私と出会ったのでした。
これって日本で例えるなら「北海道の最北端の稚内出身の子が、沖縄の最南端の波照間島までヒッチハイクで移動する」くらい究極の移動ですが、当然ロシアですからミーハの移動距離は日本列島の何倍もあります。24歳のミーハにとっては一生に一度の大冒険だったかもしれない。
まあ、後で知ったのですがミーハときたら両親には「もちろん僕はシベリア鉄道で移動するから大丈夫」などと大嘘をついて、医大を卒業した瞬間に脇腹にでっかいハヤブサのタトゥーを入れて、裸足でドロンコになりながら浮浪者みたいななりでヒッチハイクしてたわけですよ。医大に送った息子がそんなヒッピーになってるなんて、サハリンのご両親はもちろん知る由もありません。
しかし、そんなミーハの内緒のヒッチハイク旅を心底気にかけていた唯一の親族が、お姉さんのターニャだったのです。ターニャは当時、ロシア西側のヴォロネジ(モスクワよりちょっと南)という街で暮らしていて、道中のミーハとは時々携帯で連絡を取りあいながら、破天荒な弟が無事にヒッチハイクでロシアの西側にたどり着けるようにと、ものすごく気遣ってました。
ターニャはシベリアっ子にしては珍しく英語が堪能で、しかも私と同い年。シベリアでミーハを乗せて旅してた頃なんかよくターニャから電話がかかってきて、「ナオコ、うちのミーハに安全な旅をさせてくれてありがとう。ヴォロネジに来たら必ずうちにきてね。きっとよ!」と、会ったこともない外国人の私を、まるで昔からの親友のように扱ってくれました。だから私もターニャにはすごく会ってみたかった。
ターニャとの出会い
しかしロシア広すぎなんですよ。。。シベリアを6月に出発して、ターニャの暮らすヴォロネジについたのは8月!まあ1万キロ以上も走ったから当然といえば当然だけど、移動だけで1ヶ月以上かかりました。
それまで、ターニャの声だけしか知らなかった私ですが、満面の笑顔で出迎えてくれたターニャが想像以上に可愛くて優しくて、会った瞬間からまるで家族のように接してくれたことは今でも忘れられません。なんかもう本当に無邪気で天使みたいな子で、彼女との出会いはロシアでの一番の想い出です。
ターニャは会うなり「ナオコ、会いたかったわ!ずっと待ってたのよ!ミーハのこと本当にありがとう。好きなだけうちに泊まってってね。絶対に大勢のほうが楽しいわ!」と。私もすっかりターニャが好きになって、それから半月ほどずっとヴォロネジでターニャ一家と家族同然の暮らしをさせてもらったという。。。こんな事ってある?
ターニャは夫のセルゲイと2人ぐらし。当時、まだ子供はいませんでした。私とは同い年だったこともあり、まるで親友のように町中に遊びに行ったり、一緒に買物したり、お料理したり、ロシア語教わったり、映画を見たり、女子トークをしたり、ありとあらゆるロシアのリアルな暮らしを体験させてくれました。
だけど、ターニャとの出会いの真価は、そんなキャッキャウフフだけで終わるようなものではなかったのでした。ヴォロネジで暮らしてた頃はよく分かってなかったけど、彼女の在り方に触れたことが、その後じわじわと私の人生に影響を及ぼすことになります。
けど、それにはちょっと、私の側のダークな事情も話しておかねばなりません。。。
(つづく)
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続きが気になります〜。
遠いロシアという国の出来事が、naochkaさんがでてくることでグッと身近に感じて、読みながら、すごくワクワクしました。
しかし、ターニャさん、優しそうでとってもキュートな方ですね^^
わー、komariさんありがとうございます!
いやーほんとに。。。弟のミーハとの珍道中はいろんな人に話したんですけど、姉のターニャの話はあまりしたことがありませんでした。次回、衝撃の事実が!? 乞うご期待。笑